4世紀には親王塚、5世紀には金津山古墳のように前方後円憤が造られたが、6〜7世紀の古墳時代後期に入り口を開けて追加埋葬できる横穴式石室を持つ小型古墳も造られ数世代にわたり六甲山麓の芦屋から西宮にかけて数百の古墳が造られ現在八十塚(やそつか)古墳群と名付けられている。
画像は城山古墳と名付けられ大正時代に発見された未調査となっている。標高200メートルの地点にあり樹木がしげり確かめることが困難であるが発見された頃は、はげ山のような状態で古墳としての形は残っていた。
不思議な思いだ。なぜこのような高所に気づいたりか。
多くのハイカーが行き来する道ではあるが知る人は研究者以外少ないであろう。
山手を散策すると意外な発見があり楽しい時間が持つことができる。
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